2017年11月15日水曜日

サンタさんへ。クリスマス前に「ありがとう」

サンタさんから子どもへのクリスマスプレゼント、ご家庭ではありますか。我が家は、子どもがサンタさんへの手紙を書き、クリスマスの朝にはクリスマスツリーの下にサンタさんからのプレゼントが届きます。

サンタさんはいつまで来る?


私自身も子ども時代、小学校3年生までずっとサンタさんに手紙を書いていて、クリスマスの朝起きるとプレゼントがありました。サンタさんからのカードがついていて、その筆跡は母のものだったし、プレゼントの包装紙は近所のおもちゃ屋さんの名前が入っていました。当時の私は妙に大人ぶっていた子どもでしたが、そういう「証拠」にはあえて目をつぶり、サンタさんがいるって考えるのは楽しいな、と思っていました。なので、当時幼稚園生だった妹が

「サンタさんってパパとママなんだって!友達から聞いた!」

と家で言い出した時は本当にがっかりしました。せっかく大切にしていた魔法が解けてしまったようで、「なんでそういうつまらないことを言うんだ!!」と内心妹を恨んだものです。

そんな経験があったので、自分の子どものサンタクロースを大事にしたい、という気持ちがありました。

サンタさんは楽しい、でも


子どもたちが小さいうちは、夜にクリスマスのプレゼントをそっと置く瞬間が楽しくて、親になるとこんな楽しみがあったのか、と喜んでいましたが、だんだん子どもが大きくなるにつれて、本人たちがどう考えているのか、気になり始めました。

上の子はまだまだ幼い部分もあって、まだ信じているようだし、周りの子たちとサンタクロースの話をすることも少ないようです。まだ大丈夫かな、と様子を伺っていた、息子7歳の頃、私の友人から

サンタさんの卒業方法

を聞きました。子どもがサンタさんを信じているうちに、正体が気になり出す前に、

「〇〇ちゃんは大きくなったから、小さい子たちにサンタさんのプレゼントを譲ってあげようね。大きい子もプレゼントをもらい続けたら、プレゼントをあげる子どもが増えてサンタさんも大変だよ。その代わり、〇〇ちゃんにはパパとママからプレゼントをあげるよ。」

と子どもが自らプレゼントを辞退するよう促すというものです。

私はこの話がすっかり気に入り、実践することにしました。

でもやっぱり、サンタさんに来てほしい


初回はこの話を聞いた年、クリスマスプレゼントを開けた後に開始しました。

「今年もサンタさんからプレゼントもらえてよかったね。でも、大きい子たちはサンタさんからプレゼントをもらうことはもうしないらしいよ。小さい子たちにあげてくださいって言うだって。サンタさんだって子どもが増えて大変だよね。」

初めてそんな話を子どもにしてみました。

子どもたちは無反応。まだまだだよね、と思ってその時はそれ以上話をしないで、翌年に持ち越しました。

翌年、サンタさんへの手紙を書く時期に、

「サンタさんからのプレゼントはもうやめるのはどう?サンタさん大変だよね。その代わり、パパとママがあげるから、それでいいんじゃない?」

「やだー、サンタさんがいい!」

聞く耳持たず。この年もまだ。子どもが自ら決断した方がいいのだろうと思って諦めました。

サンタさんへ「今までプレゼントをありがとう」


そして今年、また私はこの話を切り出しました。

「サンタさんからプレゼントもらうのやめて、小さい子たちにあげてくださいってお手紙に書いたらどうかな?」

「今年まではサンタさんからもらいたいなー。来年からにする。」

と息子の反応。でも、もう9歳です。私は今まで以上に踏み込んだ説得をするつもりでいました。

「パパとママに何がほしいか教えてくれたら、それを日本から送ってもらうこともできるよ。パパとママからの方がいいんじゃない?」

日本の物が手に入ることに魅力を感じた息子は、今度はあっさりと承諾。サンタさんに手紙を書き出しました。6歳の娘は下の子らしく、兄につられるように、

「パパとママにプレゼントをもらう!」

と言い、サンタさんへの手紙を書きました。


娘はサンキューノートを作りました


サンタさん卒業話を始めて2年。来年になってしまったら息子がどう考えるようになっているか予想できず、私も少し強引になっていましたが、今年から我が家にサンタさんは来ないことになりました。

うまくいった、と内心ガッツポーズでしたが、やっぱりちょっとさびしいですね。でも、クリスマスはクリスマス。今年も楽しく過ごしたいと思います。


野口由美子



2017年11月8日水曜日

海外の小学校で見た、一筋縄ではいかない「新聞作り」

私の子どもたちが通うブリティッシュ・スクールでは、毎年オープン・ウィークという親が授業参観できる日があります。国語(英語)、算数や美術、音楽、ICT(コンピュータ)など数日間にわたっていくつかの授業が指定され、予約順に4名程度の大人が授業を見学します(各授業の定員は少ないのですが、保護者の数以上の予約枠が用意されます)。私が毎年楽しみにしている行事のひとつです。

「新聞を作ろう」という国語の授業


息子が4年生(当時8歳)の時、国語の授業に参加しました。その日の授業は、新聞作り。日本の小学校でも似たような授業があるのではないでしょうか。私は学校生活など身の回りで起きた出来事を記事に書くのかな、と思っていましたが、私の予想とは全く違う授業が始まりました。

先生がまず1枚のスライドを子どもたちに見せました。

ブーディカ、敗れる

とスライドには書かれていました。先生が最初に話し始めます。

「前の授業でブーディカについて勉強したこと覚えているかな。」

何人も子どもたちが手を挙げます。

私は、ブーディカなんて聞いたこともなかったので、何のことだかさっぱりわからず、授業の最初から面食らってしまいました。ちょうどこの時、子どもたちはローマ時代の勉強をしていて、ブーディカというのはローマ時代にイギリス一帯を治めていたケルト人の女王だそうです。夫であった国王の死後に領地をローマ軍に占領され、反乱を起こしたものの最終的にはローマに敗れました。イギリスではよく知られている人物のようです。

そのような歴史についてはすでに授業で勉強していたようで、子どもたちが次々とテンポよく指名され、発言していましました。

「今日は、ブーディカがローマに負けたことをみんなに新聞記事にして書いてもらうぞ。でもその前に、この質問に答えてほしい。ブーディカが敗れた。このことをどう思った?」

何人かの子どもが手を挙げて答えます。

「悲しい。」
「くやしい。」

といった意見を言う子が多いのですが、

「うれしい。」
「やった!と思う。」

という意見の子もいました。ちょっとひねくれたことを言ってみたい気分の男の子たちです。

書く前に、「自分の立場」を決めなさい


先生は男の子たちのひねくれた気持ちもお見通しのようで、そのまま授業を進めていきます。

「ローマ人側かケルト人側か、で思うことが違う、ということだね。ローマ人にとっては「やった!ついにブーディカを倒したぞ」うれしい、と思うし、ケルト人は「自分たちの女王が負けてしまった」悲しい、くやしい、と思う。全く違う意見になるね。ジャーナリズムには、自分がどの立場であるかを決めることが必要なんだ。」

新聞記事の書き方ってこういうことを教えるんだ、と私は興味深く思いました。

次に先生は子どもたちに、ローマ人とケルト人のどちら側につきたいか、それぞれ好きな方を選ばせました。このクラスにはイギリス人が23人いるかいないか、という印象でしたが、ケルト人側を選ぶ子が多くなりました。

先生は、ローマ人側の子ども 1人とケルト人側の子ども34人をひとつのグループを作りました。グループごとにお互いの立場から相手にインタビューをして、そのやりとりを発表するというアクティビティに移りました。

「どう感じたか、どう思うのか。それによって人の行動は変わる。だからどう思うのか質問することが重要になるんだ。」

最後に、グループごとに質問し合った内容をプリントにまとめる作業をしました。

先生が子どもたちに配った紙には大きな人型が印刷されていて、その人型の内側には感情、外側には行動を分けて書き込むようになっています。教室内はずっと賑やかで、子どもたちは真剣に取り組んでいました。

その日の授業はここで終わりましたが、その後の授業では、このプリントを元にケルト人側とローマ人側それぞれの立場の新聞を作り、読み比べたそうです。

これは新聞記事ではないですが、子どもたちの作品。
情報だけを記述するライティングは別のスタイルとして学びます。


言論の場として、新聞を書く子ども


実際の新聞記事を比べたらどんなふうに違うのかな? と疑問を持って、本物の新聞記事を読み比べるところまでできたら、この授業をより深く理解したことになると思いますが、そこまでは先生から要求されていなかったようです(息子もそこまではできませんでしたが、クラスでそういうことをやった子はいたのではないかな、と思います)。

書くときは自分の立場を明確にすること、読むときは書き手の立場を読み取ること。なかなか難しいテーマに取り組んでいますね。言論の場としての新聞、改めて考えさせられました。


野口由美子

2017年11月3日金曜日

授業だけではない、小学校で学ぶべき「勉強」

子どもの学校は校庭が狭く、休み時間にみんなが自由に遊べるだけの十分なスペースがありません(日本の小学校は校庭が広くてうらやましいです)。

サッカーコート大1面、小1面(大きいコートでもフットサルコートくらい)、サッカーコートよりさらに小さいくらいの広場に遊具があるエリア。

その校舎にいる4学年を2つに分けて遊ぶ時間をずらしているそうですが、それでも狭いと思います。

狭い校庭での「対立」


狭い校庭でどんなふうに遊んでいるか。息子が私に休み時間の話をしてくれました。

大きいサッカーコートが一番人気なのだそうです。ずっとサッカーをやりたい男の子がサッカーコートを占領していたそうですが、ある時から、「女の子もサッカーをやりたい」と女の子もサッカーをするようになりました。男の子も女の子もみんな一緒にやればいいのではないかと私は思うのですが、それはお互い嫌なようで、男の子が女の子に時々譲る形で女の子のサッカーが始まったそうです。

だんだんサッカーをやりたい男の子と女の子の間で対立が起きるようになり、さらに他の場所で違う遊びをしていた子たちも、サッカーコートから追い出され不満を募らせた子たちに遊びの邪魔をされるようになって(息子は邪魔されて迷惑を被る方のグループにいました)、休み時間の校庭は対立の場となっていたそうです。


多数派が勝つ、はいいこと?


人数が多く、口も立って、力があるのは、女の子です。女の子がほぼサッカーコートを占領するようになっていきました。

女の子が強い時代なんだなぁと、私は息子の話を面白く聞いていました。

「それで、みんなどうしたの?」

「スクール・カウンシル(児童会)がサッカーをする女の子だけがサッカーコートを使うのはダメって。どうやって使ったらいいか、決めたの。」

児童会が新しいルールを決めたそうです。

大きいサッカーコートでは、月曜と水曜は男の子のサッカー、火曜と木曜は女の子のサッカー、金曜はサッカー以外のおにごっこなどをして遊ぶ

他にも曜日の割り当てを学年ごとにする案などいろいろな試みがあったそうです。先生の先導もあったとは思いますが、これが結論になったということでした。


反対意見があったら、どうする


実は、息子はこの決定に納得していないようで、その不満を私に話したかったようでした。

「サッカーをやる女の子はぼくの学年では少ないから、週1日でいいと思う。他の学年でサッカーをする女の子が20人以上いて多いからそういう決まりになったけれど、ぼくの学年は3人だけ。ぼくは遊ぶ時間が違う学年と同じルールにする必要はないって言いたかった。でも、スクール・カウンシルがみんなに新しいルールの話をしたのは、ぼくが学校を休んでいた時。自分の意見はその時に言うべきだったって友達に言われた。」

「もしその時、自分がいたら、自分の意見をみんなの前でちゃんと言えたと思う?」

「もちろん、言ったよ!」

みんなの前できちんと意見を言う息子の姿を私は想像できなかったのですが(家で見ている息子とはあまりにも違うので)、授業よりも休み時間の話の方が真剣になれるのかもしれません。彼なりに自分の意見が合理的である理由も考えています。

息子は、今は新ルールに従うしかないと考えているようですが、自分の意見を言える次の機会を狙うのか、新ルールになっても楽しめる新しい遊びを考えるのか、次の行動があるのかもしれません。どんな行動に出るのかわかりませんが、いい経験ができているなぁ、と思いました。狭い校庭も悪くないかもしれません。

学校の廊下には目安箱のようなものが置いてあります。
これを使うという方法もありますよね。


きちんとした手続きを踏んで、多数派だけでなく、みんなが納得するルールを作る。ルールができたら、みんなで守る。今の時代、大人が不得意なような気がします。

私は以前読んだ絵本を思い出しました。

「投票って何?」ある絵本に驚きの答え

過去の記事の中では特に多くの方に読んでいただいていますが、まだ、という方は是非、こちらもご覧いただけるとうれしいです。


野口由美子

2017年10月29日日曜日

海外で「空気読む」は通用しない、のウソ

子どもたちの学校は、アムステルダムにあるブリティッシュ・スクールでインターナショナルな環境です。イギリス人など英語圏の子どもはむしろ少数派、ヨーロッパ各国を中心にいろいろな国の人がいます。

そんな中では、日本人ならではのコミュニケーションは通用しないとわかっていましたが、イギリス人的な遠回しな言い回しや、オランダ人的な裏表ない直接的な表現で成り立つのかというとそうでもない様子です。子どもだけでなく、親もいろいろな経験をすることになります。今回はPTA活動。

私は、子どもの学校のPTAで華々しく活躍しているわけではないのですが、日本人コミュニティの取りまとめ役としてちょっとだけ参加しています。

新しく入ってきた家族のオランダ生活を支援するのが、国別コミュニティの主な役割ですが、どの程度活動するかはコミュニティ次第、メンバーによってかなり差があります。日本のPTA活動とは大きく様子が違うように感じます。

コミュニティ・メンバーのサポートという役割に留まらず、自国の伝統行事を授業の中で体験するイベントを自ら企画して主催する国もあるかと思えば、学校行事などへの参加依頼があっても全然やらない国もあります。

日本人コミュニティは、というと、毎年開催されるクリスマスのチャリティーイベントでお寿司を作って販売するのと、各国の文化を紹介するコーヒー・モーニングという保護者向けのイベントを年1回主催する、という活動をしています。これらのイベントはPTAからの依頼があり、やるからにはちゃんと準備もするしそれなりのクオリティのものを提供する、という日本人らしいスタンス(?)でやっています。



日本のコーヒー・モーニングでは折り紙教室も
朝からコーヒーと共に日本食を振る舞います



決意で臨む、PTAの会合


先日、各国のコミュニティ・リーダーが集まるミーティングがありました。集まった親はいろいろな国の人たちです。PTAの会長も来ました。総勢12人くらい、全員女性。

せっかくの機会だと思い、私は密かに心に決めていることがありました。

日本人主催のコーヒー・モーニングをやめたい、と言おう。

この2年くらい、どの国のコーヒー・モーニングも集客がうまくいかず、日本も年々参加者が減って、主催する日本人とお客さんとどっちが多いか微妙な状況。PTAと相談してテコ入れもしてきましたが、うまくいっていませんでした。参加者が集まらないとしても、日本人メンバーは朝からお寿司や和菓子などの日本食を作ってきてくれます。その労力、日本食を作ったことのない人たちにはわかりません。

日本はいつも立派にやっているから、是非今年もやってほしいと言われるだろうな。どうやって説得しようか、全く自信がない私でしたが、いつ自分が話を切り出すか、タイミングを見計らっていました。すると、突然会長が言いました。

「国別コミュニティの活動で、コーヒー・モーニングはちょっと問題あると思っています。一番大きいコーヒー・モーニングを開いているインドはどう思う?」

学校内で最大コミュニティであるインドのリーダーに話を振りました。

「インドはディワリという伝統的なお祭りをテーマにやっていますが、参加している人はインド人ばかり。コーヒー・モーニングは他の国の人に自分の文化を紹介するものだとすると、ちょっと目的に合っていない感じがします。」

会長はうなずきながら、聞いています。

「もっとコミュニティ・リーダーの私たち自身も積極的に参加すればいいのではないかしら。友達を誘い合ったりして。」

他のコミュニティの人からは、すかさず改善提案がなされます。次から次へといろいろなアイディアが出てきます。

--いや、そういう改善はもう十分試してきた気がする。それでもうまくいっていないんだよ。そう言うあなたたちはコーヒー・モーニング主催したことないでしょ。

多分今いるメンバーの中で、このイベントに労力をかけているのは、トップがインド、次は日本で、その他の国はそれほど真剣に取り組んでいないと私は思っていました。今発言している彼女たちは、その場の思いつきでいろいろ言っているだけ、にも聞こえます。

私は心の中ではそう思ったものの、私よりもうまい英語で、調子よくしゃべり続けるメンバーの中に割って入ることもできないまま、黙っていました。インドのリーダーも言いたいことが言い尽くせていないのか、不満そうです。

しゃべっているのは2、3人だけなのですが、今の話の流れでは、結局コーヒー・モーニングは去年と同じやり方で継続、に決まりそうな雰囲気です。これはまずい、と私は焦り始めていました。


議論は思わぬ方向に


頃合いを見計らっていたかのように、また会長が話し始めました。

「コーヒー・モーニングに来る人は年々減っていると認識していたので、PTAでもいろいろ改善を試みてきました。テーマを変えたり、会場を変えたり、開催頻度を減らしたり。でもやっぱり参加者は増えない。」

「日本はどう? 日本のコーヒー・モーニングはいつもきれいな日本食をたくさん用意したり、折り紙教室を開いたり、素晴らしいのよね。」

会長が私の方を向いて言いました。とっさに話を振られ戸惑う私。

「ええ、ありがとうございます。これは準備が大変で。」

私は今まで考え続けていたことは全く言えていませんでした。

会長は私の顔を見て

「そうよね。」

とまたうなずきました。

そこから、会長はコーヒー・モーニングを継続しない方向に議論の舵を切り始めました。彼女はみんなの意見を聞きながら、という姿勢を崩していないので気付きにくいですが、話の流れは会長が作り出しています。そして、最終的に、

今年度からは国ごとのコーヒー・モーニングは中止。その代わり、インターナショナル・デーを作って、各国の文化を紹介する全校レベルのイベントを開催する

と大きく活動内容を変えることにして、その場にいた全員の賛成を取り付けました。

ミーティングが終わる時、不満そうな顔をしている人はいませんでした。


意外な結論、でも満場一致はどうして?


その場で、私はひとり唖然としていたかもしれません。私自身、きちんと意見を言えなかったのに、私以外にもきっと意見を言えていない人はいたのに、会長はその場の声にならない空気を読んで、議論の方向性を決めた。私にはそう思えました。

後でPTAの役員をやっている友人に会長のことを聞くと、

「彼女は素晴らしい人。いつも明るく、精力的に率先して働いている。みんなの意見をよく聞いてくれるし。彼女が会長になってから役員会もすごく雰囲気が良くなった。」

やはり絶賛していました。役員の間でも絶大な信頼があるようです。

自分の意見をきちんと言えていない私はすでに落第なのですが、いろいろな国の人たちが集まっている中で、空気を読むことがこんなふうに機能するとは思っていませんでした。

日本で「空気を読む」といったら、「空気読め!」とか「空気が読めない人」とか相手に対する要求や圧力に使われてしまうことが多いのかもしれませんが、私がこの時見た「空気を読む」人は、周りから信頼され、合意形成への近道を見つけることができる人でした。

私も見習いたい、人間的にも魅力のある会長さんです。


野口由美子