2018年5月25日金曜日

海外で、子どもの誕生日パーティーの極意

子どもの誕生日パーティー。子どもにとって自分が主役の一番うれしい日。住む国によっていろいろスタイルの違いがあるものの、やっぱり大切なイベントです。海外での子どもの誕生日パーティーは、計り知れない重要度があります。日本のように七五三や学校の入学式といった成長の節目となる行事があまりないので、余計に、ということかもしれませんね。

イギリスでもオランダでも、子どもの誕生日パーティーは盛大で、趣向を凝らしたものが多かったです。たとえば、

  • サッカー
  • バスケットボール
  • アーチェリー
  • トランポリン
  • アスレチック
  • ロック・クライミング
  • スポーツジム
  • ボート
  • インドア・プレイグラウンド
  • プール
  • ビーチ
  • ボーリング
  • レーザーゲーム
  • ダンス
  • 乗馬
  • チューリップ摘み
  • マジックショー
  • 料理教室
  • ゴッホ美術館

などなど(すぐ思い出せるものだけでもかなりバラエティに富んでいますね)。

いろいろな施設が子ども用のパーティープランを用意しているので、あらゆるパーティーを開くことができます。

年齢が小さいほど、パーティーに参加する人数も多いです。15人くらい友達を招待する子が多く、子どもが小さいと、さらに親も一緒にどうぞ、とワインなど用意されていることもあります。盛大です。


パーティーに招待されたときの作法



初めて子どもが誕生日パーティーに招待された時は、出欠の返事は? プレゼントは? と作法がわからず、ドキドキしました。

これまでの経験では、

  1. 招待状をもらったら、できるだけ早く返事する(実際には返事が遅い人もいるのですが、丁寧な人は早いです)
  2. 子ども同士、親同士で、パーティーの話はしない(呼ばれていない子が周りにいるかもしれないので。アメリカンスクールなどクラス全員を呼ぶ風習がある学校も多いそうです)
  3. (できれば)プレゼントのリクエストを聞く(もっと親しいと、招待された他の子の親にも声をかけてプレゼント代を集め、グループプレゼントを企画する、というのもあります)
  4. プレゼントの予算は15ユーロ前後から(上記のような場所でパーティを開くと、場所代だけでも1人あたり最低これくらいの予算がかかるのです)
  5. 子どもにカードを書かせる
  6. 当日指定された時間に、プレゼントとカードを持って子どもを連れて行く(時間厳守で来るのは大抵日本人ばかりですが)
プレゼント選びは悩ましいことが多いです。私立の学校は相場が上がってくるようで、選択肢もさらに広がるような気がします。でも、実際には人によってかなりばらつきがあるので、あげたいと思う物をプレゼントすればよい、ということなのだと思います。


誕生日が楽しみな子どもの影で、頭が痛い親


我が家はきょうだいの誕生日が同月なので、過去4年は毎年合同でパーティーを開いていました。日程確保が難しいという問題があり、苦肉の策だったのですが、子どもの年齢も上がってきて、そのようなやり方が難しくなってきたのも確かです。5回目の今年はついに別々に開くことにしました。2回分のバースデーパーティーの企画はなかなか頭が痛いというのが本音でした。

息子の場合

息子のパーティーには助け舟がありました。同じ誕生日の友達が一緒にパーティーを開こうと声を掛けてくれたのです。友達のお母さんと場所の下見をしたり、招待客リストを作ったり、一緒に準備しました。

友達のお母さんがケーキ、私が寿司担当。テーブルセッティングは施設にお任せ

場所はフリーランニングのジム。総勢18人、全員男子。ニンジャ・パーティーという趣向で(日本人には何が忍者だかよくわからないのですが)障害物競走のタイムを競うというアクティビティをやっていました。上手な子にはみんなから賞賛の嵐、うまくなくても頑張っている子には応援の声をかけ合いながら、本気で競い合っています。フリーランニングのインストラクター2人の若い男性が付いて大いに盛り上げてくれました。


ニンジャはこういうことをするらしいです


インストラクターの方は子どもの面倒見もよく、男子の憧れの的でした

施設を使ってのパーティーはいろいろやってもらえるので、事前準備も当日もやっぱり楽ですね。



娘の場合

それに対して、娘のパーティー。本当に仲の良い子だけを呼びたいと、娘が挙げた名前は5人。

去年まではもっとたくさんの友達を呼びたがっていたのに、友人関係が大きく変化していました。大勢で盛大なパーティーがやりたかったのではないか、とちょっと気になりましたが、少人数なら親もコントロールしやすいので、全部娘の希望を聞きながら一緒に準備することにしました。

  • 場所選び

「どこでパーティーやろうか。」

「外でやりたい。公園がいいな。」

今まで、天気が心配で(春は天気が不安定で、寒暖の差も激しく、曇りで雨が降ってその後ようやく晴れる、みたいな目まぐるしい天気になることが多いのです)外でのパーティーは、あえて避けていました。

「じゃあ、公園にみんなを呼んで一緒にボートに乗ったりしようか。」

親の私たちが大勢の子どもたちを仕切るのは大変ですが、今回は小さなパーティーなので、思い切って、夫と息子に仕切ってもらって(私は裏方なので除外です)公園で手作りのパーティーをすることにしました。

  • 食べ物の買い出し

スーパーに一緒に行って、

「なんでも好きな食べ物を選んでいいよ。」

という私の言葉に目を輝かせる娘。お菓子売り場に直行しました。
砂糖の入ったジュース。グミにチョコレート。いつもは私が渋るお菓子類が次々と買い物カゴに入っていきました。

  • パーティーバッグの用意

お菓子やおもちゃの入った小さなバッグはほぼ必ず、パーティーのゲストに配られるものです。中身は娘が何軒もお店を回って探しました。

「男の子たちはよくブロックで遊んでいるから、ブロックのおもちゃを入れる!」

「女の子にはブレスレット」

ひとりひとり違う色の好みに合わせて、ひとつひとつ選んでいきました。私ひとりで準備していたらこういうきめ細やかさはなかったです。

  • ケーキの準備

「スポンジケーキとバナナケーキにして!」

大きなデコレーションケーキを注文して用意する家庭もあれば、家でケーキを焼く家庭もあります。買ったケーキはとにかく甘すぎて、口に合わないので、毎回私が焼いています(日本に住んでいた時は家でケーキを焼くなんて考えられなかったものですが)。

「スポンジケーキはピカチュウの形にしてね。」

覚悟を決め、とことん娘に付き合うことにしました。

そして当日。晴天、気温20度。とても心地よい天気に恵まれました。招待した友達の家族もピクニックに来ていたので、きょうだいたちも飛び入り参加してもらい、パパと兄が中心となって盛り上げながら、1日楽しく過ごすことができました。


木々の中で虫探ししていたそうです
ペダルボート2台、湖を1周しました


娘と用意したお菓子を出すと、

「パラダイスだ!!」

と喜ぶ子どもたち。


リクエストのピカチュウケーキも


不健康なお菓子ばかり出してしまっていいものか、とちょっと後ろめたい気持ちもありましたが、今日は特別、ということにさせてもらいました。大掛かりなことは何もなかったのですが、子どもはこんなに喜ぶものか、と娘と一緒に準備してよかったと思いました(息子は、妹の友達にそれなりに気を使って遊んでいたらしく、ぐったりしていました)。


どうやって祝いたい? やはり気持ち次第


今まで見たパーティーで一番印象に残っているのは、こんなパーティーでした。

マネしたくなるバースデーパーティー

お金をかけた派手なパーティーが必ずしもいいわけではない。その時もそう思ったのですが、みんなそれぞれ、いろいろなやり方があっていいのだと思います。大きくても小さくても、派手でも地味でも、子どもの喜ぶ顔が見られるものですね。


野口由美子

2018年5月14日月曜日

孤独でも不安でも「子どもが最優先」誰も知らない母親の気持ち

「お母さんをひとりぼっちにしないでほしい。」

あるシングルマザーから聞いたこの言葉に、中山真珠さん(23歳・大学4年生)は、社会から孤立する母親たちの心の底にある本音を聞いたような気がしたそうです。

子どもの貧困対策センター公益財団法人あすのばの大学生スタッフとして活動する中山さんは、子ども食堂を主催していた母親の影響で、子どもの貧困問題に関心を持つようになりました。しかし、今は子どもを取り巻く「大人の貧困」にも眼を向けたいと言います。

あすのばで活動する中山さん(中央)


子どもの貧困が多いのは、ひとり親世帯です。父子世帯は19万世帯あるのに対して母子世帯は123万世帯あります。どちらの世帯も80%以上の親が就労していますが、父親の平均年間就労収入は398万円であるのに対し、母親の就労収入は200万円という調査結果が公表されています (出典:「厚生労働省の平成28年度全国ひとり親世帯等調査」)

中山さんは、このような数字だけではわからない、シングルマザーの気持ちに触れる体験をしたそうです。その時ご自身が感じたこと、考えたことを語ってくれました。


母親はいつも子どもを想っている


私は「あすのば小・中学生合宿キャンプ」(子どもの貧困対策センター公益財団法人あすのば主催、2018年3月24日から26日に千葉県君津亀山少年自然の家にて開催)で保護者プログラムを担当しました。この合宿は、ひとり親家庭などや、社会的養護のもとに暮らす小学生、中学生の子どもたちが参加し、高校生大学生世代のスタッフと親睦を深めます。

子どもたちが作った横断幕


小学生も対象なので、まだ年齢が小さい子でも参加できるようにと、保護者も参加できる形にしています。でも、様々なバックグラウンドを持つ子どもたちがいるため、参加する子どもの中には両親がいない子もいます。そういう子たちへの配慮もあり、保護者が同伴した場合、合宿中は他の子と同じように子どもだけで行動し、親御さんには別に用意した保護者用プログラムに参加していただき、原則別行動をとってもらっています。 

---(聞き手)ひとり親家庭の支援団体が行うイベントなどでは、親子が一緒に楽しむという形のものが多いそうですね。親と子が別行動になるイベントへの反応はどうでしたか。

今回参加した保護者は5名、全員シングルマザーでした。到着早々親子同伴できないことを知ったお母さんたちは子どもと離れることに戸惑い、躊躇していました。

私たちは、保護者の方に、忙しい日常から離れてゆっくりした時間を過ごしてもらいたい、保護者の方を労いたいという学生のアイディアから保護者プログラムが用意していたのですが、お母さんたちはそういう「自分のための時間を持つ」という気持ちにはなれなかったようです。

「夜飲ませる薬があるんだけど、部屋に行ってもいいですか。」

「渡さなきゃいけない荷物があるんだけど。」

と何かと心配そうなみなさんに

「一人ひとり 担当のバディ(学生スタッフ)がついていますから、彼らに任せていただけませんか。」

とお願いすると、

「大学生のボランティアに子どもを任せるのも...」

と返され、自分たちが全く信頼されていないと思いました。私の説明が悪かった部分もあったと思うのですが、完全に敵対心を抱かれてしまったように感じてしまい、私も、

「子どもたちに楽しんでもらうために、みんながんばって準備してきたので私たちを信じてください。」

と涙を流しながら訴えていました。

---(聞き手)私自身、小学生の子どもがいるので、参加したお母さん方の気持ちがわかるような気がします。もし自分が小学1年生の子どもと参加するとしたら、親子で一緒にいたいと思ったでしょうね。この方達と同じ気持ちになったと思います。

お母さん方の言葉の裏には、本当はいつも子どもと一緒にいたい、もっと子どものことを見ていてあげたい、という母親の気持ちがあったのだと思います。

母親自身にも「母親の気持ちなんて他人にはわかるはずがない」というような感覚があって、あまりそういうことをはっきり言うことは少ないかもしれません。中山さんは感じ取っていたようですが、母親の気持ちは周囲から見過ごされてしまいがちかもしれません。

「親のための時間」はぜいたく過ぎるのか


---(聞き手)保護者プログラムではどのようなことをするのですか。

2日目の保護者プログラムは、合宿会場周辺の散策でした。雰囲気を和ませようとした私が、

「昨晩はよく眠れましたか。」

とお母さんたちに話しかけても、

「(子どものことが)気になってよく眠れないわ。」

散策中も、

「ここに子どもも連れて来たかった。」

とお母さんが「自分だけの時間を持ってリフレッシュする」には遠く及ばない様子でした。

でも、だんだん時間が経つにつれて、みなさんがリラックスした表情に変わっていきました。特にイチゴ狩りをした時は、お母さん同士で楽しそうにイチゴを摘む姿がありました。

イチゴ狩りの様子1


イチゴ狩りの様子2


「いつもは全部自分でしなきゃいけないでしょ。運転するのも、ごはん作るのも、子どもを遊びに連れて行くのも。そしたら1日なんてあっという間だから、こうして全部誰かに用意してもらってたら、『あれ、まだこんな時間だったの?』 って思うくらい、こんなに時間がゆっくり流れるものなんだなって、びっくりした。」 

合宿所に戻る時、そうおっしゃったひとりのお母さんの言葉に他の方も深くうなずいていたのが印象的でした。子育ても仕事もすべてひとりで背負うことがどれだけ多忙なことなのか、感じました。

散策中に見た風景


---(聞き手)私自身はシングルマザーではありませんが、母親としてはいつでも「子どもが最優先」でやろうとしている気がします。「自分のための時間」なんて考えることさえできない状態で行き詰まってしまう母親は、シングルマザーに限らず、多いのではないかと思います。日本では母親が背負うものが大きすぎて、子育て自体がやりにくい環境になっていると感じることもあります。

母親の穏やかな表情を取り戻すには


---(聞き手)合宿中に、お母さん方が子どもたちの様子を見ることはあったのですか。

はい、完全に離れていたわけでもなく、時々様子を確認している方もいましたし、2日目の夜には子どもたちのキャンプファイアーを見てもらいました。

参加者の子の中には、合宿に来る途中に足に怪我をしてしまったため、車椅子で参加している子がいました。キャンプファイアーの場所まで学生たちがその子をおんぶして、周りの子達が協力して車椅子を運んでいる姿がありました。子どもたちはみんな楽しそうでした。

「親がいなかったから、ここまで(子ども同士が)仲良くなれたのかも。」

と、車椅子の子のお母さんが言っていました。子どもの笑顔はかけがえのないものですが、それを見守る親御さんの穏やかな表情も同じくらい尊いものだなとその時思いました。

キャンプファイアーの様子


私は、この合宿のメインはあくまで子どもたちであって、保護者プログラムはサブ的なもの、くらいにしか思っていませんでした。でも、3日間の合宿を通じて、シングルマザーの方々は、毎日忙しく働いていても経済的に困難な状態にあり、子どもの将来に対する不安や子育ての悩みを独りで抱えていることを知りました。

子どもも大事だけれど、女性、特にシングルマザーがもっと生きやすくなるにはどうすればいいか、もっと考えていきたいです。ただのイベントとして終わらせず、これからにもつなげていきたいと思います。

---(聞き手)ひとり親家庭であっても、「子どもが最優先」でがんばっている親がほとんどだと思います。でもシングルマザーは特に、働いていても経済的困難を抱え、生きづらい状況に追い込まれてしまいがちという実態が厚生労働省の調査結果からもわかっています。シングルマザーになったのは個人の事情だったのかもしれませんが、特定の立場の人が生きづらい原因は、個人の事情だけでなく、社会の仕組みがそうなってしまっている、ということにもあると思います。

親が生きづらさを抱えていると、子どもも生きづらくなってしまうものだと私も思います。日本には、どんな家庭の子どもも生きづらさを感じることなく、成長していけるだけの豊かさがあると思います。どの母親も、シングルマザーになる可能性がないわけではないし、教育費の家計負担などはすでに多くの家庭にとって不安となっています。シングルマザーの困難を軽減していくことは、社会全体にとっても、大切なことだと思います。


インタビューの中で中山さんは時折、「自分にはまだお母さんの気持ちがわからないと思う」と率直に話していましたが、それでも一生懸命、保護者の気持ちに寄り添おうとしていました。

インタビューの聞き手であった筆者自身も、母親の気持ちがわかる、と言いながら、シングルマザーの困難をよく理解しているとは言いがたく、社会からも見過ごされがちなのではないかと感じます。子どもの貧困とは何か、大人の貧困とは何か。私たちも何をすべきか考え続けなくてはならないと思います。



聞き手・野口由美子

2018年5月7日月曜日

かこさとしさん、やさしくない絵本に添えたやさしい手紙

かこさとしさんが、2018年5月2日に92歳でお亡くなりになりました。

私もかこさとしさんの本には特別な思い出があります。


「だるまちゃん」も「からすのパンやさん」も読んできた


私が小学校1年生くらいの時、学級文庫にかこさとしさんの本があり、「だるまちゃん」シリーズや「からすのパンやさん」などを読んでいました。子どもだった私にとっても、かこさとしさんの本は

「他の絵本と違うな。」

と肌で感じていて、引き込まれるように学級文庫にあったかこさとしさんの本を全部読みました。

「日本の子どものために日本を描く」独特のタッチ、でも情緒に流されない冷静な視点。親になった今は、子どもと一緒に絵本を開きながら、そういう「ほかの絵本とは違う」魅力を感じます。

かこさとしさんの一ファンに過ぎない私ですが、ひょんなことから、かこさんとご縁がありました。


かこさとしさんの思い出


私がブログ記事で、かこさとしさんの絶版した本を紹介したのがきっかけで、その本が復刊されるという出来事がありました。

投票って何? ある絵本に驚きの答え

たまたま時流に乗った内容だったので反響が多かったということかもしれません。ちょうど日本は選挙を控えている時期、海外ではイギリスでのEU脱退の国民投票やアメリカでのトランプ大統領の当選など、選挙結果について議論が沸き起こることが増えていました。

この絵本は「こどものとうひょう おとなのせんきょ」というタイトルで、子どもに選挙や民主主義の考え方を伝える内容です。しかし、この絵本は楽しくお勉強するだけの絵本ではありません。絵本の最後には子どもと一緒にこの本を読んでいるであろう「大人」を痛烈に批判するという、大人が読むとつらいラストが用意されています。

こんな大人にやさしくない絵本を作っても絶対売れないだろうし(絵本を買うのは大人です。そして実際に絶版になったわけですが)、あえてそれを堂々と正面から取り組んだ作者の意識には頭が下がる思いでした。

そして、絵本の出版から30年近く経った今もその批判は厳しいものです。この絵本が今読まれるというのは大きな意味があるのかもしれないと思いましたが、私はやっぱりただの一ファンに過ぎず、遠くから復刊を喜んでいるだけでした。


やさしい手紙


後日、思わぬことがありました。かこさとしさんご自身のサイン入り絵本が私の元に届けられたのです。


絵本に書かれたサインを見たときは舞い上がる思いでした。


しかも自筆の手紙まで添えられていました。


はるばる海外から拙作旧版のものをめざとく見出してくださって、有難うございました。

と感謝の言葉があり、最後には


何らかの機会にお目に書かれれば幸いです。どうぞご自愛の上御家族皆様によろしくお伝えの程

とありました。単なる一読者に過ぎない私に心遣いの言葉をかけてくださっていました。私は完全に舞い上がってしまい、自分のことでこんなに驚いたり喜んだりしたのは何年振りかわかりませんでした(自分の子どものことだったら、いつも色々な意味で驚いているのですが)。

「こどものとうひょう おとなのせんきょ」の厳しい語り口も「だるまちゃんとてんぐちゃん」のほのぼのとしたストーリーも、子どもに(かつて子どもだった人にも)やさしい作者の心から生み出されたものだと、その筆跡を見ながら思いました。

心からご冥福をお祈りします。


野口由美子

2018年5月3日木曜日

先生ではないけれど、頼れる人

娘が小学校1年生になり、日本語補習校で入学式がありました。

校長先生や来賓の方からの挨拶があったり、校歌を歌ったり、日本の小学校そのままのような入学式を経験できました。娘は、壇上に上がった担任の先生から名前を呼ばれ、緊張した面持ちで

「はい。」

と返事していました。子どもたちが平日通っている学校では、入学式といった行事はなく、子どもの成長の節目に盛大な式を開かれるのはやはりうれしいものです。


初日からトラブル?


補習校は土曜日だけの学校です。授業日数が少ないので、入学式が終わると保護者は先に帰り、午後から早速授業が始まります。親子で体育館から教室に入りました。

初日からちょっと大変ですが、補習校の年長さんクラスに参加していた娘にとっては、すべてが初めて、というわけではありません。1年生のクラスには、年長クラスで仲の良かった子もいるし、ひらがなもすでに習っているし、自信を持って1年生が始められるはず、と願いながら、私が教室から出て行こうとした時です。

娘に呼び止められました。

「ママ、お腹が痛い。」

見ると、娘はお腹が本当に痛い時の顔ではありません。痛いというより、不安な顔です。

やっぱりきたか、と思いました。成長するにつれ、新しい環境が大きなハードルと感じるようになってきた娘なので、万全の準備ができたと親は思っていても、本人は不安になってしまっているようです。

「お腹が痛いの? どのあたりが痛い? それはつらいよね、どうしようか。」

というようなことを言いながら、本当にどうしたものかと困っていました。教室にいる先生を見ると、他の子どもたちに囲まれてすでに慌ただしい様子です。先生に頼れる状況ではなさそうなので、私がこの場で治してあげなくてはなりません。

私はある人のことが思い浮かびました。

「絶対すぐに戻ってくるから。ちょっとだけ、待っていて。」


子ども用の薬の中身


私は事務室に駆け込みました。

「お忙しいところすみません。ここに常備薬ありませんか。」

私は事務の方に頼ろうと思ったのでした。私が保護者会役員をやっていた時によく助けてくれていた、保護者にも気配りしてくれる女性です。ビオフェルミンでも分けてもらえれば、それが薬として効くというより、娘へのおまじないになるのではないかと思いました。

「そういう物はここには置いていないんですよね。どうかしたのですか。」

頼みの綱が切れた気分でしたが、私は事情を説明しました。

「子どもの病気というわけではなくて、ただ気持ちを和らげたいんです。事務の仕事と全く関係ない個人の相談事ですみません。」

「そういうことなら、これはどうでしょうかね。」

事務の女性は、給湯室に私を連れて行きカップに白湯を入れ砂糖を少しだけ混ぜました。

「オランダの薬を溶かしてもらったって言って、あげてみたらどうですか。あまり味がしないかもしれないけれど、ちょっと甘い子ども用の薬が溶いてあるよって感じで言ってみたらいいかもしれないですよ。」

私はカップを持って急いで教室に戻りました。


「薬」の効き目


この「薬」はすごく効きました。

その日、娘は無事最後まで授業を受け、家に帰ってくるなり、

「ママ、今日1年生の教科書もらったよ! 見て、こんなにたくさん!」

と教科書を部屋に広げだしました。


真新しい教科書をもらい、娘はうれしかったようです。


「お腹痛かったのは治った?」

私が言った言葉に一瞬はっとした娘の表情を見逃しませんでした。すでにお腹が痛かったことも忘れていたようです。


小さな優しさの積み重ね


私たち家族以外、誰も気が付かなかったであろう、ほんの小さな出来事に過ぎません。

子どものフォローは親の責任、教室内では先生の責任、という話になるものですが、先生だけでなく、他の人も子どもに手を差し伸べてくれると思うととても心強く感じました。

実は、この翌週も娘は学校でお腹が痛くなるのですが(授業中に娘が発症し、その後クラス全員のお腹が痛くなったそうで、全員で白湯を飲んだと先生から聞きました)、そんなちょっと困ったことでさえ、人の優しさを知る機会になっています。


野口由美子


2018年4月26日木曜日

やる気を出させる言葉となくす言葉

子どものやる気を出させるには!? としょっちゅう頭を痛めている私ですが、ついこの間、やる気を出す秘訣を教えてもらったような体験をしました。


学校行事は、親の「やる気」次第


私が住んでいるオランダは国王の日ムード(4月27日はオランダ国王の誕生日で、日本の天皇誕生日とは違い、かなりのお祭り騒ぎになります)。子どもたちの学校でも国王の日にちなんで、オランダの昔ながらのゲームをしてお祝いする行事があります。

こういう学校行事に必要なのは親のボランティア。ゲームの準備や後片付け、子どもの補助をする手伝いが募集されます。

私の印象では、保護者の参画度は完全に3つに分かれます。

  • 学校への関心が高く、「もちろんやります!」と当然のことのようにいつも参加する「レギュラー」
  • そこまではできなくても、「何もしないのも悪いし」とか「学校に来ると子どもも喜ぶし」とか思いながら、可能な限り参加する「準レギュラー」
  • 何もしない、または、できない「完全不参加」


学校運営をみんなで公平に分担しようという考えは全くなく、やる気のある人がやれば良いというのが信念(本来ボランティアってそういう意味なのでしょうけれど)のようです。でも、やはり親のボランティアがうまく集まらないこともあります。

今回の国王の日イベントはボランティアの集まりがあまり良くなかったようです。


やる気がなくなる言葉


私は、というと、熱心に働く人の傍で何もしないのも決まりが悪いので、「都合がつけば」参加している「準レギュラー」で、今回は事前準備の協力を申し出ました。

作業は、子どもがゲームをする度にスタンプを押す台紙作りでした。協力できる親が家に材料を持ち帰って作ります。

私はボランティアを取りまとめている受付の方のもとへ、材料を取りに行きました。

「あの、国王の日の準備で材料を受け取りに来ました。」

「あなたが担当ね。はい、これ。見本と同じように作って月曜に持って来て。」

と早口で事務的にそう言うと、受付の方は私に材料の入った袋を手渡しました。その袋は予想以上に重く、

---これ全部私ひとりで作るのかあ。そんなに時間取れるかな、ちょっと困ったな

と内心思ったのですが、受付の方は忙しそうで有無を言わさぬ感じです。私も返す言葉もなく、重い袋を受け取るとそのまま退散してしまいました。

私は、仕事を押し付けられたような、ハズレくじを引かされたような気分でした。もっと他の人も手伝えば楽になるのに、と恨みに思ってしまうと、その日は手をつける気もなくなり、材料はそのまま放置してしまいました。


やる気を出させる言葉


翌朝、受付の前を通ると、昨日と違う担当の方がいました。彼女になら、私のこの状況がわかってもらえるかも、と私は受付で言ってみました。

「昨日材料を受け取ったのですが、ちょっと多すぎて困っています。」

彼女は明るく言いました。

「そんなのいいのよ! できない分はそのまま私に戻してちょうだい。私も暇な時間見つけてやれるし、子どもがアートの時間にやってもいいと思うのよね。どうにかなるから。できる分をやってくれるだけで本当に助かるから。」

昨日とは全く違う言葉に、私はほっとしました。でも、彼女が残りの作業を引き取ることになるのだろう、ということもなんとなくわかりました。

まずはどれだけできるかやってみよう、と私は家に帰って材料を広げました。膨大な量に思えましたが、実際に数えてみたら80枚分。台紙を貼って、紐を通して縛って、試しに1つ作ってみました。時間を計ってみたらせいぜい40秒。全部作っても1時間もかからない。実は大した作業ではなかったわけです。手をつける前に、やる気をなくしていた時にはわかっていませんでした。

結局私は、「できる分だけやればいい」と言われていたのに、全部の作業を終わらせていました。

完成品。
当日は、子どもがこの台紙を首から下げてゲームをするそうで、地道な作業でしたね。


締め切りの月曜に、できた完成品を受付で手渡しました。

「ありがとう! 助かるわー!」

受付の方はとても喜んでくれました(私のやる気を出してくれた方です)。感謝されるとやっぱり私もうれしかったです。

今回のやり取りで改めて実感しました。声の掛け方ひとつで、相手の気持ちは大きく変わってしまいます。これって大人も子どもも同じかも、とふと思いました。


大人も子どもも同じこと?


「手伝って!」

と子どもに言うと必ずと言っていいほど、

「えー、嫌だよ、今マンガ読んでるんだもん!」

と、うちの場合は全くダメです。でも、

「ちょっと助けてくれる? 今ママ、他にもやらなくちゃいけないことがあるから、できないの。全部できなくてもいいし、後からママも一緒にやるから。」

というような声掛けだと、息子がまず、仕方ないか、という感じで黙々と手伝い始め、いつの間にか娘も一緒になってやっている、ということが多いです。

子どもでも大人でも、相手に何か頼むときはちょっとした気配り、大切にしたいです。


野口由美子

2018年4月19日木曜日

日本の小学校1年生、無理してない?

「小学校1年生の息子が学校へひとりで行けない。」

今から5年ほど前のことになるのですが、私が日本に住んでいた時のこと。イギリス駐在から帰国して間もない方から、日本でお子さんの小学校の送り迎えをしているという話を聞きました。その子は、すでにイギリスでは小学校に通っていたそうですが、親がいつも送迎していたこともあり、子どもだけで学校に行くことをいやがったそうです。


登校しぶり、親は「困る」? それとも?


私はその話を聞いて、

「それは大変ですね。」

という言葉をかけていました。その時私が思ったことは、

「急には無理なんだろうなあ。親がいつも付いて行くわけにもいかないだろうし、困るだろうなあ。」

というようなことで、日本と海外では学校生活もいろいろ違いがあるだろうし、うまく慣れることができないと困る、と感じました。

しかし、他の方がかけた言葉は、私と全く違うものでした。

「そうよね。親が一緒に学校に付き添えばいいわよね。」

私が「困る」と思っているのに対して、親が困るほどのことではない、と逆のことを言っているように聞こえました。

当時の私はその言葉に違和感がありました。周りのみんなができていることを自分だけできないとしたら、子ども自身だって困っているのではないだろうか。小学生の親が学校に送り迎えしていたら過保護にならないかしら。

この違和感はずっと私のどこかで引っかかっていたのですが、その後打ち消されていくことになります。


日本の小学校1年生、急すぎる親離れ?


「日本の小学校1年生ってハードル高すぎない? 子どもだけで学校に行ったり、放課後出かけたり。なんであんなに急に親から離れなくてはならないのかしら。子どもにとっても親にとっても、そんなに簡単なことではないと思う。」

日本で子育て経験のあるフランス人の友人が言いました。

フランスでは、7歳の子がひとりで学校に行くのはあり得ないことだそうです。日本の登下校の光景を見て、日本の安全、治安の良さに感心しつつ、7歳の子にとって小学校入学が高い「ハードル」になっているように感じ、戸惑ったそうです。


小学校1年生がひとりで登校、あり得ない


親が小学校に送迎しなくて当たり前、と思っていた日本での私ですが、小学校へ親が送迎するのが当たり前、という国に実際に住んでみて、ようやくその「ハードル」の意味がわかりました。

今住んでいるオランダも、小学校は親の送り迎えが必須です。特に法律などのルールがあるわけではないのですが、当然のこと、となっています。家から学校が見えるくらいの近所でも、しっかり親が送り迎えしています。のどかで治安も良く、交通量の少ない住宅街でも親が一緒。安全上の理由だけではないようです。(仕事で親が送迎できない場合は、学童保育付きのサービスを利用したり、シッターに送迎を頼んだりしているそうです。)

ゆっくり自立、子どもの気持ちが中心


10歳くらいから、だんだん、ひとりで学校に通う子が出てくるそうですが、それはその子次第。子ども自身が親と一緒に学校に行きたいのであれば、小学校卒業までずっと親と一緒に登下校する、というのが基本スタンスのようです。

毎朝、オランダで子どもの送り迎えしているわけですが、小学校高学年くらいの子が父親や母親と一緒に自転車に乗って学校に来たり、学校の入り口で親子がハグしたりしている様子を見ます。ひとりで来る子もいるけれど、親と一緒の子もいる。

日本との文化の違い、を感じますが、それ以上に、今の時代だからこそ、子どもは時間をかけてゆっくり自立していけばいいのではないか、と思えてきました。みんな一斉に1年生になるけれど、子どもの成長過程は、みんな比べようがないくらい違うもの。そういうものだと、私が本当に理解できたのはつい最近です。5年かかりました。


子も親もマイペース


今なら子どもに、

「学校に行きたくない。ママと一緒にいたい。」

と言われても、それは「困った」と思わなくなりました。

「そうだよね。行きたくないって気持ちになることだってあるよね。」

学校に行くということだけでなく、学校で過ごす時間、先生のこと、友だちのこと、子どもにだって特別な悩みがあったり、ただ漠然とした不安があったり、朝はそういうネガティブな気持ちが大きくなるのかもしれません。いつも前向きな気持ちでいた方が幸せだろうけど、前向きになれなくても、その気持ちを否定してはいけないと思うようになりました。

最初からハードルが越えられなくても、まだまだこれから、子どもには子どものペースがあると思って、そういう日は学校に行く前に子どもの話を聞いたり、私もその日に作ったお弁当の話をしたりしています。

そういう朝の時間は意外と楽しいです。いつもの慌ただしい朝から私自身も逃避しているような気持ちです。もっと早く気付けていればよかった、と思いますが、子どもたちもまだまだこれから、マイペースで私も一緒に進んでいこうと思います。



オランダでもきれいな桜が咲きました。


野口由美子

2018年4月12日木曜日

小学生に必須!? ハリー・ポッター本が読めるようになるには

今の子たちにとって、大切な児童文学作品って何だろう。

あまり読書しない小学生の息子が気になる私ですが、本に接する環境から整えようと思いながら、ふと疑問がわきました。学校の友達が持っている本を見せてもらったり、友達の親御さんの話を聞いたり、いつもどんな本がいいかと探っています。子どもの学校は英語が使用言語ということもあり、英語で児童書をほとんど読んでいない私にとっては新鮮な世界。いろいろな作品があります。でも、その中で重要な作品をひとつ挙げるとしたら、やっぱり、

ハリー・ポッター

なのかな、と思います。

主人公ハリーはもうすぐ11歳。両親を亡くし、親戚の家ではしいたげられ、恵まれているとはいえない環境。ハリー自身もいたって普通、というよりむしろ、ぱっとしない感じ男の子。ある日、ホグワーツ魔法学校から入学許可証が届き、自分が魔法使いであることを知る------

大体のあらすじは知っていましたが、私は今まで全く読んだことがありませんでした。

実際息子の周りでは、映画で満足して本はあまり読まない子、両方どっぷり楽しむ子、ハリー・ポッターしか読まなくなってしまうくらい本に夢中になる子、どれくらい好きになるか違いがありますが、誰もが一度は触れる世界のようです。

友達の中でも7歳くらいから本にチャレンジする子が出てきて、息子もずっと気になっていたみたいでした。


ハリー・ポッターは難しい?



周りの子達はみんな知っているハリー・ポッターですが、実際に本を開いてみると、実は他の児童書に比べても難しい、です。息子にはかなりハードルが高かったです。

魔法の世界のイメージを広げるために、文章が独特、男性的というか硬い感じがしますし、魔法にふさわしい非日常的な言葉を多用します。巻を追うごとに話も長くなっていきます(日本語版と英語版はかなり雰囲気が違うのですが、10歳前後を対象としているかな、というところは同じように思いました)。

我が家ではオーディオブックを使って、朗読を聴きながら本を目で追っていくという方法で、読み進めることができました(息子は読むというより聴いている感覚だったようですが、読書の助けになっていたと思います)。

オーディオブックや読み聞かせは、本をあまり読んだことのない子にもいい導入になるようで、おすすめです。


何歳から読める?



息子の読解力からするとちょっと難しかったハリー・ポッターでしたが、何歳から読むのがいいのか、というと、簡単に年齢では区切れないようにも感じました。

多分、読解力が優れている子は、7歳でもハリー・ポッターを読めると思いますが、全部理解するのはやはり難しいのでは、という感じがします。闇の魔法使いとの戦いとハリーの両親にまつわる過去の謎について、伏線とその回収が長いストーリーの中で語られることになるので、7歳で理解するのは難しいと思います(10歳以上でも難しい場合もあるかもしれません)。

でも、その子が謎解きの部分をあまり理解できなかったとしても、まだハリー・ポッターの魅力は衰えないと思います。むしろそんな子でも惹きつけられる魅力を大切にしたい作品です。


子どもにとってハリー・ポッターの魅力は



たとえば、1作目の「ハリーポッターと賢者の石」。映画にも出てくるシーンで覚えている方も多いと思いますが、ハウスポイントという学校の制度にまつわるエピソードがあります。

ホグワーツ魔法学校の生徒は全員、学年を超えて縦割りで4つのハウスに所属します。良い行いをするとハウスポイントが加点、逆に悪いことをすれば減点。ハウスごとに1年間の総得点を競うという制度があります(イギリスの小学校では実際によくある制度で、息子たちの学校でもハウスがあります)。

「賢者の石」では、トロールに襲われ命からがら戻って来たハーマイオニーに対して、先生がハウスポイント減点処分を下します。そうかと思うと、学年末にいきなりハリーたちに大量のポイントを一気に与えて、ハリーたちのハウスが逆転優勝するというラストがあります。

私がこのシーンを読んだ時は、

「ええー、先生がこんなふうにハウスポイントで生徒を操ってひどくない!?」

と完全に興ざめしていました。しかし、息子は、

「ハーマイオニーは悪かったらから、ポイントがマイナスになって当然だし、ハリーたちはがんばったから、最後にハウスポイントがもらえてよかったと思う。」

先生の判断をそのまま受け入れて、ラストシーンに心から喜んでいました。こういう学校生活のエピソードを素直に楽しめ(私のような「大人」はもうダメなんですね)、ごく普通の少年だったハリーがシリーズを追うごとに成長していく姿と自分を重ねて、一緒に成長しているような気持ちになれる、そういう子から楽しめる作品なのだと思います。



主人公に共感する読書



難しい非日常的な表現や謎解きの伏線などはすっ飛ばして、ハリーに共感できる年齢が最初の適齢期なのだと思います。先生といった大人に批判的になる思春期に踏み出すと、ハリーに共感しながら読むことができなくなってくるかもしれません。

思春期の手前、10歳前後までが、一番素直な気持ちで主人公に共感したり、ドキドキワクワクしたりできるような気がします(だから、児童文学の主人公は10歳くらいの子どもが多いのでしょうね)



本も映画も、スタジオツアーも



本だけではなく、映画でも楽しめるところがハリーポッターのいいところ。本の文章が難しくても、映画のイメージが読書の助けになります(映画よりも本の方が、学校生活の話など登場人物が生き生きと描かれるシーンが多いので、両方知った上で本の方が楽しい!と思えたら、私としては大成功、なのですが)。

もっとハリー・ポッターの世界を楽しみたいと思い、家族でロンドン郊外のハリー・ポッターのスタジオツアーにも行ってきました。

Warner Bros.Studio Tour London -The Making of Harry Potter

実際に映画撮影で使用したセットや衣装、小道具を見学しながら、映画のシーンを追体験したり、特撮や撮影技術の仕組み、俳優やスタッフの裏話を知ることができたり、家族で楽しめる内容になっています。


ホグワーツ・エクスプレス。
本物の機関車を改造していて、実際に中に入ることができます。



ホグワーツ魔法学校。
実際のお城か、フルCGか、と思っていましたが、精巧なジオラマで撮影されたそうです。

世界中からお客さんが来ていました。

チケットは事前予約制で入手困難。スタジオ内にはハリポッターのコスプレをした子どもたちがたくさん来ていました。ハリー・ポッターの人気はまだまだ衰えていないようです。やっぱり小学生ならハリー・ポッターを読むべき!と思いました。


野口由美子