2017年8月22日火曜日

日本より、海外の方が子育てにやさしい?

今年は、5年ぶりの日本の夏、を体験してきました。北ヨーロッパの生活が続いて、すっかりなまっていた体には、案の定厳しい暑さで、一緒だった子どもたちも応えていたようです。いつもあんなに元気いっぱいで天気がよければ外で遊んでいたい子どもたちから、

「昼間は暑くて外に出たくないよ。」

という言葉さえが出ていました。暑かったです。

知人からのある質問


東京も今の私にとっては新鮮に映ります。すっかりヨーロッパの片隅の田舎者感覚が身に付いた私に、知人からこんなことを聞かれました。

「ヨーロッパとか旅行していると、道端で知らない人にニコッと笑いかけられることがあるんだけれど、あれって何?どうしたらいいの?」

「微笑み返さないと、人間としてダメ、だね、ちょっとおかしい人っていうか、その社会の一員ではない、くらいにみなされる。日本だったら挨拶ができない人と同じような感じかな。」

「えーっ、そうなの!?」

「もちろん、ロンドンとか都会で人がたくさん行き交う所で、いちいち笑いかけたりなんかしないけど。でも、ちょっと目が合って、微笑みかけるというのはあなたのことを認識していますよ、というような、やっぱり挨拶みたいなものだよ。」

伝わりやすい「やさしさ」にあふれている社会


私の毎日の生活でも、電車やバスではよく声を掛けられて、子どもに席を空けてもらったり、微笑みながらドアを開けて待っていてくれたり。困っていたら声を掛けてくれる人もたくさんいます。

今の私にとっては、そういうやさしさが当たり前。子どもにも
「いつも笑ってばっかりのママ!」
と言われますが、よく考えてみると、日本では都会でも田舎でも、あまり知らない人と目が合って微笑み合うなんてことはないな、と思いました。私が日本で、お店にいる人にちょっと微笑んで店内に入ると、特別な用があるように見えるのか、すぐに店員の方が来て話しかけられるような調子です。目を合わせることの意味がちょっと違う、文化の違いを感じます。


日本はやさしさが足りない?


そんな文化の話をしていて、あっと腑に落ちたことがありました。

海外生活を何年かしてきた知人に、日本生活の近況を聞いた時、

「日本は子育てしにくい、やさしくないと思うことが多いよ。」

と言われたことがありました。

目を合わせて微笑んだり、声を掛けあったり、そういう直接的なコミュニケーションが少ないことが、「やさしくない」と感じる要因の一つになっているのでは。

今回日本に滞在して思ったのですが、やさしい人はたくさんいました。どこの国にもいい人はたくさんいるものだと思います。でも日本では、わざわざ表立ってわかりやすい形で親切が示されるわけではないと感じました。

さりげない「やさしさ」


私と子どもと3人で電車に乗って、暑さでぐったりしている私たちにさりげなく席を立って、譲ってくれる人。

譲られて恐縮する私に世間話をして、気持ちを和らげてくれる人。

騒いでいる子どもたちに
「お子さん、いいですねえ。英語が話せるなんて。」
と話しかけて、子どもたちを冷静にさせてくれる人。

道に迷っている私を見かけて
「会場ならあっちだよ。」
と行先を私が言う前に道案内をしてくれる人。

さっと現れて、すっと過ぎていってしまうので、もしかしたら、子どもたちに気を取られてばかりの私が気付かないうちに親切にしてもらっていた場面もあったかもしれないとさえ思ってしまうほど、多くの人がさりげないのです。


親や子どもへの厳しい視線はわかりやすい?


どこの社会にいても、子どもやその親に対して厳しい視線を向けられることがあります。でも、日本ではそういう厳しい視線や意見は、さりげないやさしさとは逆に、はっきりしていて露骨なような気がします。

疲れているなぁ、とか、余裕がないんだなぁ、とか、そういう問題かもしれないです。

電車の中で、疲れ切って眠っている(ように見える)人やとにかく知らん顔のまま下を向いている人、というのは日本ならではの光景のように思えました。やはり日本はちょっと休みが足りないかもしれないです。

子育て中は特に余裕がないのですが、誰かのさりげない親切に気付けると、世界も違って見えるのではないかと思いますが、どうでしょうか。

また私が日本に住むことになったら、改めて考えてみたいです。


野口由美子

2017年8月10日木曜日

なぜミニオンは世界でウケる?

夏休みが続いていますが、オランダはイマイチ天気が悪い日が多いです。猛暑の日本から戻ってきた私にとっては
「東京の10月下旬くらいじゃないかな。」
と思えるような天候。もう夏は終わってしまったかのよう。

先日、やっぱり雨が降りそうな空だったので、子どもたちのリクエストで映画を観てきました。

AmsterdamにあるTuschinskiという劇場を改装した映画館に行きました。


『怪盗グルーのミニオン大脱走』(Dispicable Me 3)




子どもたちは前の作品も観ていたのですが、私は家のテレビで流れていたのをところどころ観ていただけで、しっかり全編を見たのはこの3作目が初めてでした。

映画館の中。内装も他の映画館と違います。


実際に観て、世界的に人気があるのはすごく納得、いい作品でした。

後で本作品についての批評をいくつか読んだのですが、予想通り評価は辛口でした。ミニオンの使い方とか映画のストーリーやメッセージとか、批評家ウケしないようでした。そこであえて私は、ここがよかった!と思ったところをいくつか。
(ストーリーについてはあまり言うことがないので、この記事には、ネタバレ、みたいな部分はありません)

誰にでもわかる家族愛、でも、正しさについて説教しない、泣かせようとしない


ストーリーは単純、メッセージは「家族っていいものだよね」みたいな感じにまとまっています。私としては、「娯楽性に特化」がかえって心地よく感じました。ストーリーで泣かせようとか、正しい価値観を訴えようとか、力が入ったアニメ映画に食傷気味の人、というのは私だけでなくて、意外と多いのかもしれないですね。

映像と音楽の「楽しさ」を追求する


娯楽性に特化する姿勢はかなり高いレベルで実現しているところが、大人が観ても楽しめる作品にしていると思います。何よりもミニオンはいくら見ていても飽きないですね(ミニオンが観たい人にとっては、今回の作品は期待外れのようですが)。アニメにしかできない表現を追求しています。

音楽は映像にピッタリ合っているけれど、単なる映画の付属品ではなく音楽単体でまた聞きたくなります。家に帰ったらユーチューブでファレル・ウィリアムスをチェックしていました。

とにもかくにも、映像の仕掛けがすごいです。特に2つのポイントが私にとって印象的でした。

レトロで訴える


本作ではブラットという悪役が80年代カルチャー全開で登場します。80年代を知る大人世代は彼が画面に現れるたびに笑ってしまい、心つかまれるキャラクターです。子どもは80年代なんてわからないのですが、その強烈な個性に、息子は「ブラットが一番面白かった!」と言っていました。

完全たる「アメリカン」にはならない


ヨーロッパに住んでいる私にとっては、この映画からディズニー等のアニメにはない「ここはアメリカではないどこか」という印象を受けました。ディズニー映画だと、「アメリカってこんな感じだよね」とか「アメリカ人の考えるヨーロッパってこんな感じだね」とか、アメリカ映画であることを強く感じますが、この映画の登場人物の造形や、街並みの一部には、そんな「アメリカン」な印象がありません。

一番わかりやすいのは、フレドニアンのチーズ祭りのシーンかと思います。あんな感じの伝統的なお祭りは、ヨーロッパの各地で見かけるので親しみを感じました。「アメリカ中心に世界は回らない」感じが今の世界の空気に合っている、というのは深読みし過ぎでしょうか。

まだ深読みすると、現実世界が映画よりも嘘っぽかったり、巷にあふれるストーリーには多くの意味付けがされていたり、何かと疲れることが多いので、こんな作品に心から楽しんでいる時間が何よりも癒されるかもしれないのかな、と。


野口由美子